司太夫 仮視の式

 

嶋原では揚屋(例えば角屋)に逢状(客からの招請状)を託すと、承知した太夫は輪違屋(1688年~1872年までは置屋、以後はお茶屋兼業)から太夫独特の内八文字を踏みながら太夫道中で向かいます。太夫道中には禿(太夫の身の回りの世話をする女児)が二人、引舟(簪つけ、お手前、音曲、踊りの用意等を一人でする)と、傘持ちの計4人が付き添います。そして客と対面する時にこの仮視の式を行ないます。酒宴が始るのはその後の事です。
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「ほなら、言わしていただきます。太夫がお衿を返して赤いべべを見せておいやすのは、伊達も酔狂もあらしまへんのどす。お内裏の中で舞い謡う五位の禁色をこないにお見せしてから、御門を通ります。そのときは御所を守ったはる守護職所司代のお侍さんも、みな頭を下げはります。それとも壬生浪士組の主さんは、五位より上の位をお持ちどすか」 中略、 「禁裏におわしますやんごとないお方も、太夫をお待ちにならはります。上の下のやおへん。嶋原の太夫が禿の時分から血を吐く思いで身につける芸はな、白拍子の昔から千年も伝えられた、尊いもんどすのや。舞うにせよ謡うにせよ、お琴を弾くにせよ胡弓を奏するにせよ、芸事いいますもんは、お武家さんの槍や刀の術よりも、根っから尊い、かけがえのないもんどすのや」

 

浅田次郎作「輪違屋糸里」で仮視の式をはじめ、礼儀作法をわきまえない壬生浪士組芹沢鴨に対し、音羽太夫が傾城の誇りをかけて譲らず、切り捨てられてしまう小説の冒頭です。 色を売る江戸吉原の花魁とは違うという矜持を表した下りです。 ここは何度読み返しても好きな文です。

 

司太夫は作家浅田次郎氏から数時間にわたり取材を受けて、後に「輪違屋糸里」の小説が出来ました。文中登場する天神「吉栄」は司太夫をモデルにしているようです。
by ei5184 | 2014-03-28 04:47 | 芸舞妓-1
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